アートブログ
2023.1.13 [展覧会情報]
ベルナール・ビュフェ美術館で、3月26日(日)までの期間に開催中の「線の画家 ベルナール・ビュフェ」。
今回はその開催概要についてお伝えします。
画面を覆うひっかき傷のような線、黒い輪郭線、鋭く突き刺さる垂直線・・・ベルナール・ビュフェといえば「線」で語られてきました。
しかしその線は決して一様ではありません。
ビュフェの「線」はいつ生まれ、画家は「線」で何を表現しようとしていたのでしょうか。
ビュフェの線の変遷とその画家人生を100点超の油彩や版画でたどります。
<線が生まれるまでと初期の線>
第二次世界大戦直後に描かれた初期作品では、鉛筆で描きこまれた無数の線、そして細い線を幾筋も重ねるように描かれた輪郭線が目を引きます。
戦後の空気と、その痛いような線の表現は見事に呼応し、ビュフェは19歳にして批評家賞を受賞します。
ベルナール・ビュフェ美術館の創設者が「絶望のオリジナリティ」と呼んだビュフェの「悲哀と絶望に満ちた線」は、たちまちのうちに世界を席巻し、ビュフェを時代を代表する画家にしました。
「線」は、一目でわかるビュフェの代名詞となっていったのです。
<線の発展とビュフェの生涯>
やがて戦後の空気が薄れ、ビュフェへの評価が変わっても、ビュフェは自身の線を追求し続けます。
時にはますます太く黒く世界と「もの」を隔て、時には、絵の具のかたまりとしてカンヴァスに厚く盛り上がり、時にはいまにも溢れ出さんばかりの色彩を封じ込め、時には細く繊細に風景を彩ります。
1980年代には、ビュフェは自在な線を駆使し、《ドン・キホーテ》の壮大な物語の個性的な登場人物たちを描き出します。
晩年、病に侵されてからも、ビュフェの線の力は変わりません。
最後のテーマ展「死」の連作にいたるまで、ビュフェの線の変遷にみちびかれながら、その画家人生をたどります。
ベルナール・ビュフェ美術館導入部分となる本館・中展示室では、初期作品を通じて、ビュフェがデビューした時代の空気と、その作品が当時どのように受け入れられていたかを紹介します。
ベルナール・ビュフェは 1928年パリ生まれ。10代のほとんどを第二次世界大戦中に過ごしました。
戦中・戦後の物資の乏しいときにも、工夫をかさね絵を描き続け、1948年、19歳での『批評家賞』の受賞をきっかけに、一躍人気画家となります。
ちょうどこのころ、1940年代末から1950年代にかけては、さまざまな文化人、芸術家たちがパリのサン=ジェルマン=デ=プレ界隈のカフェで交流し文化を生み出していました。
神経質な細い線、色彩のなさ、投げ出されたかのようなモチーフなど、ビュフェの表現は、サン=ジェルマン=デ=プレの“顔”であったサルトルやカミュの思想とも結びつけられ、熱狂的に支持されました。
そうしたパリの空気の中、ビュフェは時代のシンボルとなっていったのです。
ビュフェの初期作品、およびパリを描いた作品とともに、サルトル、サガン、グレコなど、時代を彩った面々をとらえた写真も展示します(撮影:ロベール・ドアノー)。
ベルナール・ビュフェを生み出した時代である「サン=ジェルマン=デ=プレの時代」を感じてみてください。
なお、期間中の水曜日・木曜日(祝休日の場合は開館し、続く金曜を休館)は休館日となっております。
開催状況につきましては、公式サイトでご確認ください。
ベルナール・ビュフェ美術館 公式サイト
https://www.clematis-no-oka.co.jp/buffet-museum/