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2023.1.18 [展覧会情報]
静岡市美術館で、2月11日(土)から3月26日(日)までの期間に開催中の「東海道の美 駿河への旅」。
今回はその開催概要についてお伝えします。
慶長六(1601)年、徳川家康が東海道に宿駅を設置し、街道が整備されると、東海道図屏風や歌川広重の保永堂版東海道など「東海道」を主題にした絵画が広く普及しました。
一方、東海道は詩書画を好む駿河の文化人たちと上方や江戸の絵師たちとの交友も可能にし、京都の円山応挙一門や江戸の司馬江漢をはじめとする新しい傾向の絵画は、駿河の人々に歓迎されました。
本展では、描かれた東海道と街道をめぐる絵師たちの往来に注目し、東海道が育んだ駿河の美術や文化をご紹介します。
慶長六(1601)年、徳川家康は江戸幕府開府に先んじて五街道の整備に着手します。
江戸と京都を結ぶ東海道には五十三の宿駅が設置され、参勤交代の大名行列や外国使節、旅人の往来などで大いに賑わいました。
また、街道の繁栄とともに「東海道」を主題とした絵画が多く生み出されるようになりました。
東海道図屏風もその一つで、その成立や享受層について詳細は未だ明らかではありませんが、旅の普及などで東海道への関心が高まった江戸前期より隆盛したとみられます。
江戸時代中頃には出版物を通して多くの人々が各地の景観を詳細に知ることができるようになりました。
江戸後期に葛飾北斎が浮世絵における風景版画を確立させると、続く歌川広重が各宿場の風景を抒情性豊かに描いた《東海道五十三次》を世に出し、東海道の絵画は一層人々に親しまれるようになります。
江戸時代中期以降、東海道の中間にある駿河では江戸と上方双方の文化の影響を受け、風景の描き方においても、新たな名所の発見など画題の面においても、多様な表現が展開しました。
東海道は文雅に親しむ駿河の文人たちと京や江戸の絵師たちとの交友を可能にしました。
十八世紀には、池大雅(1723−76)・与謝蕪村(1716−1800)らの文人画(南画)や、円山応挙(1733−95)を始めとした円山派や四条派、司馬江漢(1747−1818)の洋風画、伊藤若冲(1716−1800)、曽我蕭白(1730−81)など、江戸、京都を中心に民間の個性的な絵師たちが次々と登場し、多彩な絵画が展開します。
こうした新興の美術は、東海道を通じて詩書画を愛好した駿河の文人たちに歓迎されるとともに、絵画や俳諧などによる交流も行われました。
なお、期間中の月曜日は休館日となっております。
開催状況につきましては、公式サイトでご確認ください。
静岡市美術館 公式サイト
https://shizubi.jp/